HAYATO1が出来上がるまで⑨(クズ時代編)

おはようございます。

今日はハヤトワン人生最大級の落ちぶれ時期の話です。

今日は本当にクズ時代のお話をしますので、先にこの時期の経験から何が学びになったかをお伝えしますね。

人間は時間が有り余るとやりたいことだったはずのことさえもまともにやれなくほど怠惰になる生き物

大きくこれです。

もちろんすべての人がそうだとは言いませんが、時間管理やらの自己コントロール力がないと、そうなりがちなんじゃないかなと。

僕はダンスに専念する為に意を決して専門学校を中退したわけですが、いきなり好きなだけダンスが出来る時間が増えても、当時の僕の頭では特に練習をすることしか思いつかなかったわけです。

しかも当時練習場所として使っていたのは夜中に使える練習場所とチームメイトの先輩のマンション下。笑

今思えばOCATに行けばいつでも練習できたやんってなるのですが、当時は梅田に住んでいたので、梅田から難波に行くっていうのがなぜか非常に遠出するイメージで練習場所の選択肢としてはカウントされていませんでした。

家でも出来ますが当時の家は鬼の狭さだったので十分に動けない。(狭くても見せれる踊り方を当時は知らなかった)

まずこういった本分のダンスをするにも十分に動ける練習環境がない。正確には少し自電車漕げばたどり着くOCATでさえ選択肢に入らなかった当時の僕の情報弱者っぷりが仇になって徐々に練習頻度が減っていきます。

加えて当時僕は学生マンションに住んでいて、2年契約だったので中退しても後1年は住まないといけない状態でした。

そんな中で同じマンションで出会った女の子と付き合って完全に半同棲状態になります。

もちろんお相手の方は学生さんですから、彼女が学校に行っている間僕はひたすら寝るか日雇い行くか家でだらだらとダンスの動画見てるか、ただただ彼女の帰りを楽しみに待っているとんでもないダメ男に成り下がってました。

もうこの頃のちゃんと練習場所に行って練習するのは週に一回とか。

もう、ダンスの為に学校辞めたのにどないなってんねん。ですよね。

生活費はどうしてたかと言うと、家賃は親に払ってもらい、食事は朝晩ご飯付きの学生マンションだったのでそこで済まし、バトルとかそういうお金は日雇いで稼いだお金か貯金から回す。

もう本当に極上のクズ野郎っぷりでした。

唯一この時期で良かったことと言えば、同い年bboy中心で出た東京のbboyparkチームバトルで優勝できたことくらい。

でもあれはみんなのおかげで僕はおんぶに抱っこ状態やったのを覚えています。

そんな生活を送っていた中で、当時の彼女との関係も始めは良かったですが付き合いだして半年もしないうちに徐々に相手方のほうから熱が冷めていってしまい関係が終わります。ほぼニート野郎だったわけですから当然やと思います。

ただやっぱり当時はショックを受けたわけですが、別れた日の夜かそのくらいに、同い年のbboy達と練習する機会があって本当にその時は救われたのを覚えています。

で、僕には本当にブレイキンしかないんだなっと改めて実感しました。

それがきっかけでスイッチが大きく入り、もうこんな状態は脱却せなと思い立ち、いろいろ自己啓発の本読んだりし始めます。

特にこの2冊は当時の僕にとっては良い薬になりました。

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一冊目はなんで買ったか覚えてませんが、2冊目の夢をかなえるゾウは鹿児島の先輩から教えてもらった本で、腐りきった生活習慣を送っていた僕にとってはモチベーションを与えてくれる本でした。

この辺の時期からは色々自分なりに考え、デザイン系の職業訓練に行き始めたりしてもがき出し始めます。

で、冒頭に申し上げましたが、このクズ時代を振り返って得た学びは、

人間、時間が有り余るとやりたいことだったはずのことさえもまともにやれなくほど怠惰になるんだなってこと。

できる人は時間管理を仕組み化して自分のやるべきことを行動せざるを得ない環境まで持っていくことができると思いますが、当時の僕にそんな頭はありませんでした。

しかもダンス以外のことに注ぎ込みすぎたのが習慣化してしまい、最終的に痛い思いをするまでそんな生活を送っちゃってた。

パーキンソンの法則にガッツリやられてました笑

人間、与えられた分だけ使っちゃうっていうやつ

とまあ、こういう時期を経たから今があるやつですね。

そう思えてる今があって良かった。

そして僕はあるダンススタジオで働くことになります。

明日へ続く。

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